こんにちは。あお(@ao_motolife)です!
桜島御岳は大正3年(1914)に大噴火を起こし、黒煙は上空7000m以上まで上昇。
そのときの火山灰は遠く3,000km以上離れたロシアのカムチャッカ半島まで運ばれたといわれています。
そんな大正の大噴火の威力を今に伝える場所がありました!
今回の記事は黒神埋没鳥居
日本本土四極制覇ツーリング
黒神埋没鳥居に行く前に
黒神埋没鳥居に行く前にみかん畑に寄ってみました!
してますよね?
もっと、ドーンッ!って来る感じなのかと思ってた!
バイク乗ってたから気づかなかったのかな?
なんでミカン畑に寄ったかというと、桜島は世界で一番小さいみかんの桜島小みかんが有名なんです!
重さは40~50g、直径5cmほどの大きさだそうです。
どんなミカンなのか気になったので寄ってみました。
収穫期は12月のようで、私が行ったときはまだまだ市場に並んでいませんでした(^^;
黒神埋没鳥居に到着
みかん畑から少しバイクを走らせ、黒神埋没鳥居に到着しました!
早速中に行ってみましょう
これか~!
見事に埋まっていますね
埋まりすぎて上しか見えていません
完全に埋まっています!(しつこい?笑)
上に見えているのば上部1mだけで、2mが地中に埋まっているといわれています。
大正大噴火の前兆は、すでに3日前から始まっていました。島内のいたるところで井戸が沸騰し、海岸には大量の死魚が浮き、地震が断続的に起きていたのです。安永噴火の言い伝えから、大爆発の「前触れ」と感じた人も多く村は騒然とした雰囲気に包まれました。1914年(大正3)1月12日、午前10時5分まず西桜島赤水上が黒煙を突き上げ、10分後には東桜島黒神の鍋山が大音響とともに爆発。黒煙は上空7000mに達し、全島を被いつくしました。間断なく轟く爆発音と火山雷、降り注ぐ噴石の雨、更に翌13日には溶岩の噴出が始まり、30億トンの火の波が瀬戸海峡を横断、桜島と大隈半島を陸続きにしてしまったのです。ここ黒神でも全戸687戸が火山灰に埋没しました。高さ3mの原五社神社の鳥居は、笠木だけ残して辛ろうじて見えていましたが、時の村長、野添八百蔵は、爆発の猛威を後世に伝えるため発掘の中止を指示。そのままの形をとどめることになりました。現在この鳥居は県の文化財に指定されています (現地案内板より)
30億トン。単純計算で4トントラック7億5000万台分。
・・・想像を絶する量ですね。
埋没鳥居は溶岩で埋まったわけではありません。
すべて火山灰や軽石です。大正の大噴火の際には、約11億トンの火山灰や軽石が噴出し、この鳥居もそれらで埋もれることとなりました。
神社ですので鳥居の先には社殿もあります。
桜島の神社はこの写真のようにコンクリートで頑丈に作られているそう。
是非、お参りしていかれてください♪
そろそろお昼近く!小腹を満たしたくなってきました♪
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